2019年06月06日
今になって知る大きな恩
あなたの『今よりもっと』を応援する
カラーセラピストちおりです
先日息子が、中学校の同級生と
お世話になったY先生を誘って
ご飯を食べに行ったようです。
中学校を卒業してからも
病気の息子を気にかけ
何度も会いに来てくれた
とても優しいY先生です。
息子は中学3年生の秋に
命に関わる重い病気になり
治療のため名古屋の病院に
長期入院をしました。
突然、学校に行けなくなり
卒業式にも出席できませんでした。
そんな息子のために
I 校長先生とY先生、担任の先生が
わざわざ病院まで来てくれ
小さなひとりだけの卒業式を
挙げてくださいました・°・(ノД`)・°・
それだけでも
感謝しきれないほどの
感謝なのですが
息子の高校入学に関わる
I 校長先生の秘話を
今になってY先生から聞きました。
息子が高校を受験するにあたり
I 校長先生に、お力添えいただいたことは
私もY先生から聞いていましたが
ここまでしてくれていたとは…




その校長先生の I 先生は
私の中学2年、3年生の時の
担任の先生なのです。
I 先生は当時、まだ新任で
初めて担任を任されたクラスに
私はいました。
I 先生はぶっきらぼうで
難しい顔をしてることが
多かったのですが
なんだろな~
きっと照れ屋なんですね
内に秘める情熱と優しさが
見え隠れするそんな先生でした。
私はそんな I 先生が好きで
毎日提出する日誌には
詰め込むようにたくさん
その日の出来事を書いてたっけな
でね、根拠はないんだけど
いつか I 先生とはまたどこかで
偶然再会できるって信じてたの
だから、息子の中学校の
校長先生として赴任してきたとき
ほらね、やっぱり!
って思ったわ~
でね
私は目立つ生徒じゃなかったけど
30年以上たった今でも
きっと憶えててくれてるって
信じてたから声かけちゃったの
『 I 先生、中山です!わかりますか?』
『お~もちろんわかるよ!』
ほらね、やっぱり



息子は病気で中学浪人
学年遅れをしていたうえに
病気のせいで左足が不自由になり
受験しようとしていた高校からは
NGを出されていたようです。
もちろん試験は厳選なものですが
受験するもなにも、その前の段階で
足が不自由な息子を入学させるのには
難色を示されてしまったようです(ノ_-。)
その学校の校舎は5階建て
学年によっては5階の教室に
なってしまうから、足が不自由では
無理じゃないかと…
『だから I 校長先生は
わざわざ高校まで行って
すごく熱心に高校の校長先生を
説得してくれたんだよ。
【大丈夫です!
中山君なら這ってでも階段登ります!
だからよろしくお願いします!】
そう言って頭を深くさげたんだよ!
あの時はビックリしたよ~』
そこまでしてくれていたなんて
当時は全く知りませんでした
入試当日はまだ
抗がん剤治療の真っ只中
受験の日に体調を戻すために
治療の調整をしてもらい
病院を抜け出して試験会場に
行くための時間の打合せ
もう私はそれだけで
いっぱいいっぱいでした(;´▽`A``
何も知らなくて
ほんとにもう私ったら
ありがとうございました。:.゚ヽ(´∀`。)ノ゚.:。+゚
今になって知る大きな恩
息子も私も幸せ者です
息子は無事に合格し
途中、転移して手術入院しましたが
なんとか20歳で
高校を卒業することができました
心配されていた階段は
手すりにつかまり
右足だけで登りました
I 校長先生は、息子が高校合格後
転任になってしまい
ちゃんとお礼が言えないままに
なってしまいましたが
でもね、根拠はないけど
またきっとどこかで
偶然再会できるって
信じています
I 先生だの、Y先生だの
わかりにくかったかな?
最後までお読みくださり
ありがとうございました
カラーセラピストちおりです

先日息子が、中学校の同級生と
お世話になったY先生を誘って
ご飯を食べに行ったようです。
中学校を卒業してからも
病気の息子を気にかけ
何度も会いに来てくれた
とても優しいY先生です。
息子は中学3年生の秋に
命に関わる重い病気になり
治療のため名古屋の病院に
長期入院をしました。
突然、学校に行けなくなり
卒業式にも出席できませんでした。
そんな息子のために
I 校長先生とY先生、担任の先生が
わざわざ病院まで来てくれ
小さなひとりだけの卒業式を
挙げてくださいました・°・(ノД`)・°・
それだけでも
感謝しきれないほどの
感謝なのですが
息子の高校入学に関わる
I 校長先生の秘話を
今になってY先生から聞きました。
息子が高校を受験するにあたり
I 校長先生に、お力添えいただいたことは
私もY先生から聞いていましたが
ここまでしてくれていたとは…




その校長先生の I 先生は
私の中学2年、3年生の時の
担任の先生なのです。
I 先生は当時、まだ新任で
初めて担任を任されたクラスに
私はいました。
I 先生はぶっきらぼうで
難しい顔をしてることが
多かったのですが
なんだろな~
きっと照れ屋なんですね

内に秘める情熱と優しさが
見え隠れするそんな先生でした。
私はそんな I 先生が好きで
毎日提出する日誌には
詰め込むようにたくさん
その日の出来事を書いてたっけな

でね、根拠はないんだけど
いつか I 先生とはまたどこかで
偶然再会できるって信じてたの
だから、息子の中学校の
校長先生として赴任してきたとき
ほらね、やっぱり!
って思ったわ~

でね
私は目立つ生徒じゃなかったけど
30年以上たった今でも
きっと憶えててくれてるって
信じてたから声かけちゃったの
『 I 先生、中山です!わかりますか?』
『お~もちろんわかるよ!』
ほらね、やっぱり




息子は病気で中学浪人
学年遅れをしていたうえに
病気のせいで左足が不自由になり
受験しようとしていた高校からは
NGを出されていたようです。
もちろん試験は厳選なものですが
受験するもなにも、その前の段階で
足が不自由な息子を入学させるのには
難色を示されてしまったようです(ノ_-。)
その学校の校舎は5階建て
学年によっては5階の教室に
なってしまうから、足が不自由では
無理じゃないかと…
『だから I 校長先生は
わざわざ高校まで行って
すごく熱心に高校の校長先生を
説得してくれたんだよ。
【大丈夫です!
中山君なら這ってでも階段登ります!
だからよろしくお願いします!】
そう言って頭を深くさげたんだよ!
あの時はビックリしたよ~』
そこまでしてくれていたなんて
当時は全く知りませんでした

入試当日はまだ
抗がん剤治療の真っ只中
受験の日に体調を戻すために
治療の調整をしてもらい
病院を抜け出して試験会場に
行くための時間の打合せ
もう私はそれだけで
いっぱいいっぱいでした(;´▽`A``
何も知らなくて
ほんとにもう私ったら

ありがとうございました。:.゚ヽ(´∀`。)ノ゚.:。+゚
今になって知る大きな恩
息子も私も幸せ者です

息子は無事に合格し
途中、転移して手術入院しましたが
なんとか20歳で
高校を卒業することができました

心配されていた階段は
手すりにつかまり
右足だけで登りました

I 校長先生は、息子が高校合格後
転任になってしまい
ちゃんとお礼が言えないままに
なってしまいましたが
でもね、根拠はないけど
またきっとどこかで
偶然再会できるって
信じています

I 先生だの、Y先生だの
わかりにくかったかな?
最後までお読みくださり
ありがとうございました

ありがとうございました。
私の知り合いに、ちょっと似た境遇の方が
いらっしゃって・・・・。
コメントありがとうございます!
いろいろ大変でしたが
いろんな人に感謝できる
良い経験をさせてもらったような気がします。